数息観とは

数息観というのは、坐禅を組んで静かに自分の息を数える修行の方法で、乱れている心を静め、三昧の力を養います。数息観は、一見簡単なように見えますが、実は容易なものではありません。「数息観は坐禅の最も初歩であるが、また、最も究極である。」といわれています。

数息観の仕方:
自分の自然な呼吸を心の中で数えます。はじめの息を静かに吸いながら「い―」と、その息をそのまま受けて吐きながら「―ち」と数えます。つまり、一呼吸(吸う息と吐く息)で「一(い―ち)」です。つぎの吸う息と吐く息をもって、「二(に―い)」と数え、つぎの呼吸を「三(さ―ん)」と数えていきます。そして、百まで数えます。百まで数えたら、また一に戻ってくり返し行います。線香一本分(45分)の数は、個人差はありますが約330です。
数息観は、以下の条件を守って実修してください。

1) 数を間違えないこと
2) 雑念を交えないこと
3) 以上の二条件に反したら、1)に戻ること

この条件を無視したら、それはただ数を数えているだけで数息観ではありません。
はじめは、ある程度条件をゆるやかにして実修してください。この条件を厳格に守ると、なかなか百まで数えられず、途中で嫌になってしまいます。

数息観をはじめる前に、肺の中にたまっている空気を全部吐き出し、吐き出しきったところで、大きく吸い込む。これを「欠気一息(かんきいっそく)」といいます。これを2~3回繰り返すのも、数息観の実修に効果があります。
数息観は、習熟してくると素晴らしい効果があります。数息観は、非常に奥の深い修行法で、「安楽の法門」といわれるゆえんです。 ここまで、数息観を身につけたいものです。

二念を継がず:
数息観を実修するコツは「二念を継がない」ことです。二念を継がないとは、雑念を相手にしない、ということです。たとえば、坐禅中に何かの物音がしたとします。坐禅していても音は聞こえます。そのとき、今の音は何だろう、どこから聞こえたのだろうなどと、雑念を発展させないことです。「聞こえたら、聞こえたまま」にして数息観を続けます。すると、その雑念はスーッと立ち消えになっていきます。
二念を継ぐと、三念、四念と雑念がつぎつぎに起きてきます。三念、四念が起きそうな場合には、数回呼吸をやや深く、大きめにすると効果があります。根気よく数息観を継続していくと、雑念はしだいに前ほどには起こらなくなります。
せっかく忙しい時間をさいて道場に来たのです。坐禅中は、世間一般のことは棚上げにしてください。数息観をはじめる前に「最後まで数える」と決意して、真剣に実修してください。半信半疑では効果はありません。

三昧:
三昧とは「心を一境に住して散乱させないこと」です。心を「いま」当面する一つのことに集中する、ということです。この三昧を基礎から身につけるのが「数息観」です。嬉しいときは嬉しい三昧、悲しいときは悲しい三昧。いつでもどこでも「三昧、三昧」の日常生活ができれば、人生これほど快適なことはありません。学問でも仕事でも武道でも、三昧になればその効果はてきめんに現れてきます。